安永さん

2010年11月26日 (金)

K.Yasunagaさんを偲んで

昨日(11月25日)、K.Ysunaga(安永国利)さんの奥様から安永さんが亡くなられたと電話で知らせがありました。

謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

安永さんは昨年5月に肺ガンが見つかり、九州大学病院で手術され完治されたのですが、12月に再発、その後ずっと闘病されていましたが、抗ガン剤が効かず、今年の9月には緩和ケア病院に移られ、誠に残念ですがその77歳の生涯を閉じられました。

その間ずっと闘病の経過をメールで私に知らせて頂きました。

10月21日が最後のメール、11月12日が最後の電話となりました。

私のブログで紹介していました梅里雪山の写真を中心に40頁の「中国・雲南紀行写真集」を、モルヒネで痛みを押さえながら今月初めに2冊完成され内1冊を私に送って下さいました。

それは両面写真光沢紙を使っての渾身の遺作で私の一生の宝となる見事な出来映えでした。

その写真集の中から哀悼の意を表して

「ロコ湖」と「ロコ湖に生きる」とその解説です。

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「ロコ湖です。 濾沽と書きます。 半分は四川省に入っています。  透明度は11メートル、標高2690メートル、最深部が93.5メートルで、中国第二の深い湖と誇られています。

素晴らしく綺麗な湖で水質では褒められない川が多い中国ですがその中では特筆に価すると思います。 未だ四川省には行っていませんが、ある意味、観光地としては中国の省の中でも1・2を争うくらいではないかととも思っています。民放BSで中国を見ていたら、かってこの国は5~6個の亜大陸から成ったと言っていました。  これらがせめぎあってあの大陸を造っているのですから多様性に富んでいるのでしょうね。

これは展望台からです。  この湖畔に一泊しました。良いホテルでしたし、夜は何もないところですので。旅人の旅情を慰めるというのか「女系民族」らしい歌や踊りがありました。

もう一枚は「ロコ湖に生きる」と題しました。    前日に仕掛けた網で小魚を獲っているようです。」

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この写真集は安永さんが生きてきた証なのだと思います。

縁があってネットを通じての写真の付き合いでしたが、どんな事についても素晴らしい知識をお持ちで、含蓄の有る方でした。

直接お会いす事がなかったのは非常に残念でした。

心よりご冥福をお祈り致します。

なお、安永国利さんの写真はカテゴリの「安永さん」をクリックすると全作品が見れます。

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2010年10月21日 (木)

梅里雪山その4

今回は世界遺産となっている麗江古城と明永氷河などです。

1)

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この街の絶好の展望台となっています万古楼からの世界遺産になっている旧市街です。

この街をこの楼から逆の方向を撮ってもそちらは新市街で、もちろん世界遺産から外されていますし、変哲もないビルのある街です。

これは、いぶし銀色の瓦を使いこの甍の波が景観となっています。

写真からは外していますが、天気が良ければ  (この日はガスっぽく遠景がよく見えませんでしたので、本来ならば玉竜雪山が見えるとの事)  上の方まで撮りたかったのでした。

2)

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この甍のある街つまり古城内の建物を、まだ夜が明けてやや明るくなったけれども、どの店もまだ開店していない時刻に撮ったものです。

石畳とこのように朱紅色とでも表現すべきかよく判りませんが統一された色の…..殆ど土産物店や飲食街が多いですね。

この古城内は、特別に許可された車…..道路が狭いので軽自動車クラスの車しか入れません。

勿論タクシーもダメです。

許可された車もそんなに台数はないようでした。この道を向こうへ突き抜けると四方街と言うやや広い交差点があり、公安パトロールカーが昼間は殆ど常駐しています。  従って保安は保たれています。

3)

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梅里雪山・明永村の最終駐車場の脇を流れる氷河の融水川です。

左にチャーターした車が少し見えています。  バナナの植木がありました。  この川の水は手が切れるほど冷たいのに。

仏塔が見え、例の旗・タルチョなども。  こんなのがあちこちあります。仏塔はチョルテンと言うようです。

この水の流れも、かっては村の直ぐ近くまで氷河だったそうですが、かなり後退して、現在の氷河末端まではかなりな距離があります。
氷河が雨季は黒くなっていますので融水もグレーでした。
矢張り温暖化が、総てに影響しているのでしょう。

4)

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登りのほぼ最終地点標高3100m近くのクレバスです。  この脇直ぐ草が見えますが、ここは黒い砂礫地です。  亜熱帯の氷河ですね。

若しここに落ち込めば、助からないでしょうね。

例え慣れた登山家が助けようとしても、我々だったらそれに答える事は不可能と言えると思います。

こんなのが氷河上、無限に近く存在しているのか、なんて思えばこれ以上近づけません。

5)

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梅里雪山関連は、どうしてもこの道を一部通らなければならず、その時のものです。

麓の明永村のチベット族が貸し馬 料金は聞いていましたが忘れました。  この時は白人女性のようですね。

樹林帯の中で、少し暗くピントが甘いようですがごめんなさい。
ここではありませんが、こんなのに乗った女性 (佐賀の人)  は、あれも結構キツイなんて話していましたね。  だろうと思います。
チベット族の若い娘馬子が、頭のテッペンから出すような凄く高音の馬子唄?を唄いながら馬を曳いていました。

6)

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「パンダ牛?」と名づけました。   梅里雪山からの帰途4300mの峠付近で、運転手君が止めてこの群れを待ち、行き違った時に車の中からです。

「ゾッ」と言うそうで、チベットやこの辺りに多い長毛の大きな牛「ヤク」と普通の牛との交配種だと聞きました。

   

7)

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明永氷河の一部です。  針峰です。  どうしてこんな姿になるのか........。自然は芸術家だなぁ と感心するばかりです。

何度もTVでヨーロッパアルプスのドキュメンタリーなどみますが、あそこもドンドン氷河がなくなっているようですね。
それと、初耳でしたがアフリカのサハラ砂漠の砂が風によって吹き飛ばされ、アルプスの氷河に乗っかってるのだそうです。
日本の北アルプスの立山の「雪の大谷」の開通に一度行きましたが、黄砂が特に酷い年で雪面が黄土色でしたね。
<梅里雪山その5に続く>      

      

    

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2010年10月 6日 (水)

梅里雪山その3

K.Yasunagaさんの梅里雪山の写真、今回からは梅里雪山そのものの写真ではなくその道程で見聞された珍しい写真になります。

1)「長江第一湾」

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ここは撮るのに民家の裏山をかなり登らねばなりません。  ええぃままよ。と三脚も置いて登りました。  登るほど、より大風景が広がります。

この時はメインカメラのコンタックスに28~70mmズームのみでした。かなり時間と体力を使いました。

もうこの時には、ツナギ写真でパノラマにするよりないと覚悟を決めていました。   で、あえて28mmまでは使わず35mm程度にしました。  でないと、ツナグ枚数は多くなりますが解像度はいいはずだと。

上下の空と川の手前を基準にした訳です。勿論私らから見る正面の川は手前が自分たちがいる山の陰になって見えませんが、案内のその民家の女性もここが最良の地点だと、これ以上登りませんし、私らもヒィヒィフゥフゥで妥協したのでした。

その辺りには日本人カメラマンが棄てたらしい日本のフィルムの空き箱も見かけました。

画像処理に、これだけ作り上げるのに一週間を要しました。何と言っても苦労するのは、ツナギ目の色あわせです。 幾ら同時に撮っても絶対に合わないですね。

周辺光量の違い。また極く僅かな露出の違いなどで   特に空の色と川の色それに山の色ですね。   で、一週間画像と格闘でした。  何度やり変えたか覚えていません。

空を合わせれば山や川が違ってくる。 レイヤーを何度も作り変えたか。  

この長江第一湾は石鼓鎮というところにあります。  中国の長い歴史の中でも何度も戦いが行われその時、石の鼓などを使ったと言う故事からの地名らしいのですが。

元々、ほぼ直線近く流れていた長江ですが何10万年か昔、中央部の山が隆起。  このように140度曲げたと言う事のようです。

左が上流です。  この辺りは流れが緩やかですし、比較的浅いそうで、渡河しやすく戦場になったもののようです。

これから上流に向かいますと、緩やかな流れが玉竜雪山(5596m)と隣にある哈巴雪山(5396m)の狭い所  (一番狭い所で30m)  を200m位の川幅でゆったりと流れてきた長江が突然大激流となります。

これが「虎跳峡」で凄まじさには恐怖を覚えました。  勿論撮っていますが梅里雪山にはかなり離れていますので写真はいずれまた。

この名の由来は猟師に追われた虎がこの激流を跳び越えた所と言う故事からのようです。   今は雲南の「華南トラ」は絶滅したと言うのが定説のようですが、何十年か前はいたようです。

2)「トンパ文字」

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トンパ  (東巴)  文字を紙に書いたものです。  下のほうに健康長寿とあるのが、これの意味だと思います。

あと判るのは2007.5....。これは書いた時でしょう。   後は判りません。  あ、麗江古城がわかりますね。 ユニークなのは色で意味が変わる。

こんな文字はこのトンパ文字が世界で唯一と言う事らしいのです。

麗江付近に多く住む ナシ族。 現在でもこれを後世に伝えるべく小学校で習うのが義務になっている様です。

逆に考えると、その頃から多彩な染料を作り出していたとも言えるのじゃないでしょうか。

私個人は木片に彫ったのを10元で買ってきました。  160円くらいですね。

3)

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大理古城内です。 この門が南北にありました。

ぐるっと城壁で囲まれていますが、今の世 わき道が抜けていて「洋人街」などがその脇にあり白人客も道端のテーブルを囲んでくつろいでいる人も。   一番左にいてカメラを持ちわき見しているのが我々のリーダー孫先生。 (52歳位です)
中は土産物店が殆どでした。

4)

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ペー族の若者です。  いずこも同じ携帯が手放せない。

これもコソッと撮りましたが写真展で見た人が、こんなのよく撮れましたね。だって。モンゴルの草原で誰もいないと思って撮っていたらいつの間にか来ていて何か言われたような話をしていました。

この後、近くのレストランで昼食をしたのですが、ウエイトレスも一番左のクーニャンと同じ服装。
撮ろうとしたら嫌がって建物の中に。これもコソッと撮りましたがブレていました。

5)

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大理の次に一泊した 剣川のものです。

ここも、かっては茶馬古道の宿場と言うか物流で賑わった古鎮です。   鎮とは集落です。  沙渓と言う所が古い名残をとどめている。

そこの路地で「百年一日の如く」だろうなぁ  と思わせる水牛を追う老人です。  まぁ、近代的なのは街灯くらいでしょうか。
6)
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その沙渓のまだ細い路地を覗いていたらオバさんが家の前でどんぶり飯を食っていました。  これを撮ってやろうと寄って行くと、家の中に手招きをしている。
この子たちが出てきて姉のほうが私の腕を掴んで家の中へといざなう様子。  こりゃ飯食って行きなさいよ。  の意味だろうと。手を振って向こうに連れがいるからと手まねで断った。
丁度その時  孫先生が、向こうの道から見つけて何事かと来てくれた。  何やら飯に招いて呉れてるようだよと言ったらその子と話ををして、矢張りそうだとの事。
時間は3時頃。一体中国の人は食事の時刻にあまり拘らないようですし、こんな風に外で平気に立ち食い。
そして、簡単に人を食事に招く。  それにしても全く見知らぬエトランゼを......親が横にいるとは言え。   しかし、嬉しかったですね。  日本じゃ先ず考えられません。
先生の通訳で丁寧にお断りしました。  後で、この時カメラがポラロイドか、これはデジ一眼でしたから、即プリント出来る小さいプリンタを持っていたらなぁ  と残念でした。
上げたらきっと大喜びしたに違いありません。   表通りまで送ってくれましたが、先生の話では  日本にも暫くいた、オウヤンフィフィのファンだそうで。
帰国してから何とか写真を送ってやる手段はないかと考えましたが.........。   ね、可愛い子たちでしょ。
<梅里雪山その4に続く>
 

 

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2010年9月24日 (金)

梅里雪山その2

暫く間が空きましたがK.Yasunagaさんの梅里雪山の写真第2弾を載せたいと思います。

今K.Yasunagaさんはこの時の撮影旅行を写真集にまとめる作業を行われていますが、体調が思わしくなく前回の様なコメントはとても無理な状況ですので宜しくご了承願います。

写真の説明はK.Yasunagaさんのメールでのものです。

1)

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1)白茫雪山です。

山頂はガスで見えませんが氷河がよく見えています。

この山には孫悟空のモデルになった金絲猴なども住んでいるとか。

2)

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2)雲南の火炎山とでも言いましょうか。

こんな山が国道を挟んで対峙しています。木が全くなく赤い山ですね。

当然振った雨水は赤くなると思います。標高は推定5000m程度でしょうか。撮った所が4300mの峠を僅かに下ったところですから。

名はあるのかないのか判りませんが、現地の人にとっては、取り上げるほどの山ではないと思っているのかも知れません。

3)

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3)危険な作業です。落石防止用の金網を張っているのでしょう。

この工事のために暫く通行止めを食ってる間に、一番下の作業員の向こうに、カワカブから流れ出る明永氷河が見えています。

こんな所で命綱もつけずにヒョイヒョイと。

高地族のタフさに驚かされます。

4)

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4) 人物もどうかな  と、思いましたので。  

これは金沙江第一湾から白茫雪山での途中、少数民族の一つ「イ族」の老夫婦が自宅前に立っていたものを撮りました。
イ  と言う漢字は中々出てきませんのでこのカナ文字しか使えません。  特別な盛装ではないようで隣の旦那らしき男性は、背負い籠を背中に。

元々勇敢な民族だそうでチベット族なんかとも激しい戦いをしたとも聞きます。

しかも、比較的最近まで奴隷制度があったそうです。戦いに負けた相手を奴隷にしていたのかも知れません。

そんな過去がありそうもない、穏やかな笑顔で撮影に応じてくれました。   

女性の被り物  面白いですね。雨よけ、日よけ、更に俗に言うスケベよけにも。

5)

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5) これはあのモルゲンロートが見られた前日の夕方です。

カワカブの彼方日が落ち、カワカブはシルエットになりましたが、少し暗いのを持ち上げております。

9/19日ですから丁度秋の彼岸です。  ですから南北に走る、横断山脈と呼ばれる梅里雪山には朝日が正面に当たるわけですね。

若しこの時カワカブの裏、つまり西面は素晴らしいアーベントロートが見られただろうと思っております。

恐らく世界で誰一人撮ってはいないでしょうね。

6)

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6)これも蒼氷ですが、直ぐ脇に余り大きくはないけれどもクレバスがあり、表面もスプーンカットのようにも感じますが盛り上がっているようにも見えますので違うのでしょう。

直ぐ手前は山肌ですから草が見えています。  もっと近寄れなくもないかも知れませんが怖くて寄れません。

<その3に続く>

なお前回の梅里雪山の記事は右側のカテゴリーの海外旅行をクリックするとこの記事の後に出てきます。

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2010年7月12日 (月)

梅里雪山

今回はK.Yasunagaさんの撮られた梅里雪山の素晴らしい作品を許可を得ましたので載せたいと思います。
K.Yasunagaさんとの出会いのきっかけは覚えていませんが、3年前に価格コムの掲示板から私のブログにコメントを頂いたことからメールアドレスを交換したように思います。
その後今までに120通以上のメールを戴き写真の事以外にも幅広い分野での含蓄ある話題で色々勉強させてもらっています。

K.Yasubagaさんは福岡市在住の私より9歳年長の何と誕生日が私と同じという方で、68歳までDPEのお店をやっておられ、写真の方もハッセルやコンタックス、最近では5DMK2を使用されているベテラン名人の方です。
中国には2回撮影旅行に行かれ、私の桂林行きでは色々と教えて頂きました。
桂林に行った時同じツアーに参加されていた方から梅里雪山のツアーに参加したけど素晴らしい所だったと聞いていましたが、K.Yasunagaさんは2008年9月にその梅里雪山にツアーではなく写友と行かれ素晴らしい体験をされました。
K.Yasunagaさんは1年前に肺の手術され今も入退院を繰り返して闘病されていますが、退院された時はメールやブログにコメントを頂いております。

梅里雪山は更めて情報を収集してみて大変な山群だと知りました。
6000m以上の頂きが6つあり主峰はカワカブ(6740m)全て未踏峰です。
1991年に京都大学の登山隊が大量遭難死した山として知られています。
下記のURLに詳しい説明が載っています。
http://www.k2.dion.ne.jp/~bako/introduction.html

K.Yasunagaさんより掲載に当たってのご挨拶を頂きました。

「ご覧戴く皆様にご挨拶をさせていただきます。
中国・南西部に位置し、面積はほぼ日本の総面積に相当する雲南省。 緯度的には亜熱帯に属します。
管理人・石橋さんのご紹介の最初の写真の直ぐ上のURLで小林尚礼氏のHPを見て頂ければ私が百万言を費やすよりご納得いただけると存じます。

日本から観光ツァーがでておりますが、私どもの旅は4人(一人は麗江で怪我のためリタイアなさり3人になりました)で現地で運転手付きのRV車をチャーターしてのものでございました。
 なればこそ観光ツァーでは先ず無理ではないだろうかと思うような旅をすることが出来ました。日数は往復を含めて12日間でした。 予算は30万円でした。

メインとして使ったカメラはContax AXにRVPを使用。サブカメラとしては友人が貸してくれたCanon 20Dです。
使用レンズは過酷な旅を予想していましたのでContaxには28~70mmと80~200mmのツアィスズーム2本。Canon20Dにはシグマの35mm換算28~200mmのズーム一本です。

梅里雪山の2200mから3100mまでの素晴らしく整備された階段遊歩道を往復7時間強かけて登ったのですが、75歳の老体でも、借りたCanon 20Dだけを持って何とかできた撮影でした。
 多くの観光客は見晴らしが余り利かない貸し馬の山道を使っていますが馬糞の臭いがキツイ上に展望がよくないので氷河脇の階段遊歩道を利用したわけですが正解でした。

幸い天候にも恵まれ殆ど全コース良い天気でした。
若しまた行けるならばとの思いがありますが体を壊し不可能となりました。
皆様方にも是非一度はお勧めしたいと思います。
若しお聞きになりたいことがあれば、知りうる限りはお答えいたしたいと思っておりますが入院も控え、遅れることもあるかと存じます。
拙い写真で恐縮ですがご挨拶をさせて頂きました。  宜しくお願いいたします。」

以下K.Yasunagaさんの撮られた作品です。
是非写真をクリックして拡大してご覧下さい。

「ガスが上がったカワカブ」その説明文です。
1)
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「左上に写っているのはタルチョです。
チベット族の祈りの旗で、ここは張りにくいから一つですが聖地には非常に多く見かけます。
また、カワカブは「白い雪」 を意味していると聞いています。ヒマラヤやこの梅里雪山でも山肌に縦襞が見えますが  「ヒマラヤ襞」と呼ばれ美しく、峻険さを表していますね。
ただ、成型される原因はよく判っていないとも聞いています。」

「太子峰(カワカブ)と右にある諸峰」
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「灼けるトップ」と説明文
3)

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「これは、徳欣のホテルで梅里雪山・主峰・太子峰の后と言われる神女峰(現地名メッモ)6054mのトップが灼けた瞬間を撮ったものです。
この後、全身が真っ赤に染まりました。」

「モルゲンロート」と説明文
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「神女峰(現地名メッモ)6054mはつい最近の日本山岳写真協会の雑誌に山岳写真家・川口邦夫氏が世界の中でも美峰と称えられるとお書きになっていました。
幸か不幸か・・・・ガスが棚引いていまして全貌は少し判り辛いのですが私は幸と思っていますし、京大学士山岳会の写真家・小林尚礼氏も乾季に入ってのピーカンよりも、余程神々しい写真になります。と仰って戴きました。」

「蒼氷」と説明文
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「これは氷河の端っこにあり、直ぐ近くにある山肌が黒いのでその汚れがより目立ちますし、氷河下流は上面は黒く汚れていました。
新雪後は、美しいと思いますが、寄り付けないと思います。
この蒼さには神秘的な美しさがあります。」

「金沙江第一湾」と説明文
6)

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「長江上流を金沙江とよびます。
一説には砂金が採れるところが多いからそんな名が付いたとも言われます。
この屈曲は道路からは見えず、少し下っての撮影です。
ギリギリまで断崖に寄って。
ここではこの川が雲南と四川省境になっています。」

ここは三江併流という世界遺産に登録されています。
「三江併流(さんこうへいりゅう)は中国のチベット高原に源を有する三つの川、金沙江(長江上流部)、瀾滄江(メコン川上流部)、怒江(サルウィン川上流部)が雲南省北部のデチェン蔵族自治州及び怒江リス族自治州を平行に流れている1,698,400haに及ぶ地域で、その地域は14の保護された地域からなる。動植物層が豊かなことから、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている。」 ウィキペディアより

梅里雪山、写真で見るだけでも未だに人を寄せつけない峻厳で神秘的な山ですね。
K.Yasunagaさんの作品紹介第一弾、まだ沢山の作品を送って貰っていますので、これからも時折紹介していきたいと思います。

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