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2010年10月

2010年10月21日 (木)

梅里雪山その4

今回は世界遺産となっている麗江古城と明永氷河などです。

1)

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この街の絶好の展望台となっています万古楼からの世界遺産になっている旧市街です。

この街をこの楼から逆の方向を撮ってもそちらは新市街で、もちろん世界遺産から外されていますし、変哲もないビルのある街です。

これは、いぶし銀色の瓦を使いこの甍の波が景観となっています。

写真からは外していますが、天気が良ければ  (この日はガスっぽく遠景がよく見えませんでしたので、本来ならば玉竜雪山が見えるとの事)  上の方まで撮りたかったのでした。

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この甍のある街つまり古城内の建物を、まだ夜が明けてやや明るくなったけれども、どの店もまだ開店していない時刻に撮ったものです。

石畳とこのように朱紅色とでも表現すべきかよく判りませんが統一された色の…..殆ど土産物店や飲食街が多いですね。

この古城内は、特別に許可された車…..道路が狭いので軽自動車クラスの車しか入れません。

勿論タクシーもダメです。

許可された車もそんなに台数はないようでした。この道を向こうへ突き抜けると四方街と言うやや広い交差点があり、公安パトロールカーが昼間は殆ど常駐しています。  従って保安は保たれています。

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梅里雪山・明永村の最終駐車場の脇を流れる氷河の融水川です。

左にチャーターした車が少し見えています。  バナナの植木がありました。  この川の水は手が切れるほど冷たいのに。

仏塔が見え、例の旗・タルチョなども。  こんなのがあちこちあります。仏塔はチョルテンと言うようです。

この水の流れも、かっては村の直ぐ近くまで氷河だったそうですが、かなり後退して、現在の氷河末端まではかなりな距離があります。
氷河が雨季は黒くなっていますので融水もグレーでした。
矢張り温暖化が、総てに影響しているのでしょう。

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登りのほぼ最終地点標高3100m近くのクレバスです。  この脇直ぐ草が見えますが、ここは黒い砂礫地です。  亜熱帯の氷河ですね。

若しここに落ち込めば、助からないでしょうね。

例え慣れた登山家が助けようとしても、我々だったらそれに答える事は不可能と言えると思います。

こんなのが氷河上、無限に近く存在しているのか、なんて思えばこれ以上近づけません。

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梅里雪山関連は、どうしてもこの道を一部通らなければならず、その時のものです。

麓の明永村のチベット族が貸し馬 料金は聞いていましたが忘れました。  この時は白人女性のようですね。

樹林帯の中で、少し暗くピントが甘いようですがごめんなさい。
ここではありませんが、こんなのに乗った女性 (佐賀の人)  は、あれも結構キツイなんて話していましたね。  だろうと思います。
チベット族の若い娘馬子が、頭のテッペンから出すような凄く高音の馬子唄?を唄いながら馬を曳いていました。

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「パンダ牛?」と名づけました。   梅里雪山からの帰途4300mの峠付近で、運転手君が止めてこの群れを待ち、行き違った時に車の中からです。

「ゾッ」と言うそうで、チベットやこの辺りに多い長毛の大きな牛「ヤク」と普通の牛との交配種だと聞きました。

   

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明永氷河の一部です。  針峰です。  どうしてこんな姿になるのか........。自然は芸術家だなぁ と感心するばかりです。

何度もTVでヨーロッパアルプスのドキュメンタリーなどみますが、あそこもドンドン氷河がなくなっているようですね。
それと、初耳でしたがアフリカのサハラ砂漠の砂が風によって吹き飛ばされ、アルプスの氷河に乗っかってるのだそうです。
日本の北アルプスの立山の「雪の大谷」の開通に一度行きましたが、黄砂が特に酷い年で雪面が黄土色でしたね。
<梅里雪山その5に続く>      

      

    

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2010年10月11日 (月)

ピンクの彼岸花

遅くなってしまいましたが、9月27日洗足池公園でオフ会を行いました。

参加者はkurama-samuraiさん、とんとんさん、タチアオイさん、peggieさん、sugar_cocoさんと私の6人、tsumura-yaさんは早めに来られて一回りされた後集合場所に現れひとしきり談話された後、用事が有り帰られました。

今年は猛暑のせいか彼岸花の開花が遅れ何日にオフ会を開けばいいか、判断するのに何回も彼岸花の咲く場所へ状況を見に行きました。

当日雨男と晴れ女の勝負は雨男の勝ちで雨になってしまいました。

しかしそれが結果的には水滴のイッパイついた彼岸花が撮影出来良かったと思いました。

ピンクの彼岸花には水滴がよく似合っていました。

撮影は5Dmk2+タムロン90mmF2.8マクロ(ニコン用)です。

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赤い彼岸花も雨に濡れていました。

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ヤブランも綺麗に咲いていました。

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この彼岸花を2006年から撮った写真をデジブックにしましたので是非ご覧下さい。

洗足池を一周した後、洗足池駅から池上線に乗って池上に行きました。

本門寺そばのお店で昼食をし、本門寺境内を五重の塔や力道山のお墓を見ての帰り、池上名物のくず餅屋さんで甘いものを食べ(ちなみに私ととんとんさんは小倉くず餅を食べました)池上駅で解散しました。

参加の皆様雨の中大変お疲れさまでした。

来年の彼岸花の季節にもオフ会を開けたらいいなと思います。

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2010年10月 6日 (水)

梅里雪山その3

K.Yasunagaさんの梅里雪山の写真、今回からは梅里雪山そのものの写真ではなくその道程で見聞された珍しい写真になります。

1)「長江第一湾」

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ここは撮るのに民家の裏山をかなり登らねばなりません。  ええぃままよ。と三脚も置いて登りました。  登るほど、より大風景が広がります。

この時はメインカメラのコンタックスに28~70mmズームのみでした。かなり時間と体力を使いました。

もうこの時には、ツナギ写真でパノラマにするよりないと覚悟を決めていました。   で、あえて28mmまでは使わず35mm程度にしました。  でないと、ツナグ枚数は多くなりますが解像度はいいはずだと。

上下の空と川の手前を基準にした訳です。勿論私らから見る正面の川は手前が自分たちがいる山の陰になって見えませんが、案内のその民家の女性もここが最良の地点だと、これ以上登りませんし、私らもヒィヒィフゥフゥで妥協したのでした。

その辺りには日本人カメラマンが棄てたらしい日本のフィルムの空き箱も見かけました。

画像処理に、これだけ作り上げるのに一週間を要しました。何と言っても苦労するのは、ツナギ目の色あわせです。 幾ら同時に撮っても絶対に合わないですね。

周辺光量の違い。また極く僅かな露出の違いなどで   特に空の色と川の色それに山の色ですね。   で、一週間画像と格闘でした。  何度やり変えたか覚えていません。

空を合わせれば山や川が違ってくる。 レイヤーを何度も作り変えたか。  

この長江第一湾は石鼓鎮というところにあります。  中国の長い歴史の中でも何度も戦いが行われその時、石の鼓などを使ったと言う故事からの地名らしいのですが。

元々、ほぼ直線近く流れていた長江ですが何10万年か昔、中央部の山が隆起。  このように140度曲げたと言う事のようです。

左が上流です。  この辺りは流れが緩やかですし、比較的浅いそうで、渡河しやすく戦場になったもののようです。

これから上流に向かいますと、緩やかな流れが玉竜雪山(5596m)と隣にある哈巴雪山(5396m)の狭い所  (一番狭い所で30m)  を200m位の川幅でゆったりと流れてきた長江が突然大激流となります。

これが「虎跳峡」で凄まじさには恐怖を覚えました。  勿論撮っていますが梅里雪山にはかなり離れていますので写真はいずれまた。

この名の由来は猟師に追われた虎がこの激流を跳び越えた所と言う故事からのようです。   今は雲南の「華南トラ」は絶滅したと言うのが定説のようですが、何十年か前はいたようです。

2)「トンパ文字」

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トンパ  (東巴)  文字を紙に書いたものです。  下のほうに健康長寿とあるのが、これの意味だと思います。

あと判るのは2007.5....。これは書いた時でしょう。   後は判りません。  あ、麗江古城がわかりますね。 ユニークなのは色で意味が変わる。

こんな文字はこのトンパ文字が世界で唯一と言う事らしいのです。

麗江付近に多く住む ナシ族。 現在でもこれを後世に伝えるべく小学校で習うのが義務になっている様です。

逆に考えると、その頃から多彩な染料を作り出していたとも言えるのじゃないでしょうか。

私個人は木片に彫ったのを10元で買ってきました。  160円くらいですね。

3)

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大理古城内です。 この門が南北にありました。

ぐるっと城壁で囲まれていますが、今の世 わき道が抜けていて「洋人街」などがその脇にあり白人客も道端のテーブルを囲んでくつろいでいる人も。   一番左にいてカメラを持ちわき見しているのが我々のリーダー孫先生。 (52歳位です)
中は土産物店が殆どでした。

4)

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ペー族の若者です。  いずこも同じ携帯が手放せない。

これもコソッと撮りましたが写真展で見た人が、こんなのよく撮れましたね。だって。モンゴルの草原で誰もいないと思って撮っていたらいつの間にか来ていて何か言われたような話をしていました。

この後、近くのレストランで昼食をしたのですが、ウエイトレスも一番左のクーニャンと同じ服装。
撮ろうとしたら嫌がって建物の中に。これもコソッと撮りましたがブレていました。

5)

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大理の次に一泊した 剣川のものです。

ここも、かっては茶馬古道の宿場と言うか物流で賑わった古鎮です。   鎮とは集落です。  沙渓と言う所が古い名残をとどめている。

そこの路地で「百年一日の如く」だろうなぁ  と思わせる水牛を追う老人です。  まぁ、近代的なのは街灯くらいでしょうか。
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その沙渓のまだ細い路地を覗いていたらオバさんが家の前でどんぶり飯を食っていました。  これを撮ってやろうと寄って行くと、家の中に手招きをしている。
この子たちが出てきて姉のほうが私の腕を掴んで家の中へといざなう様子。  こりゃ飯食って行きなさいよ。  の意味だろうと。手を振って向こうに連れがいるからと手まねで断った。
丁度その時  孫先生が、向こうの道から見つけて何事かと来てくれた。  何やら飯に招いて呉れてるようだよと言ったらその子と話ををして、矢張りそうだとの事。
時間は3時頃。一体中国の人は食事の時刻にあまり拘らないようですし、こんな風に外で平気に立ち食い。
そして、簡単に人を食事に招く。  それにしても全く見知らぬエトランゼを......親が横にいるとは言え。   しかし、嬉しかったですね。  日本じゃ先ず考えられません。
先生の通訳で丁寧にお断りしました。  後で、この時カメラがポラロイドか、これはデジ一眼でしたから、即プリント出来る小さいプリンタを持っていたらなぁ  と残念でした。
上げたらきっと大喜びしたに違いありません。   表通りまで送ってくれましたが、先生の話では  日本にも暫くいた、オウヤンフィフィのファンだそうで。
帰国してから何とか写真を送ってやる手段はないかと考えましたが.........。   ね、可愛い子たちでしょ。
<梅里雪山その4に続く>
 

 

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