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2010年10月 6日 (水)

梅里雪山その3

K.Yasunagaさんの梅里雪山の写真、今回からは梅里雪山そのものの写真ではなくその道程で見聞された珍しい写真になります。

1)「長江第一湾」

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ここは撮るのに民家の裏山をかなり登らねばなりません。  ええぃままよ。と三脚も置いて登りました。  登るほど、より大風景が広がります。

この時はメインカメラのコンタックスに28~70mmズームのみでした。かなり時間と体力を使いました。

もうこの時には、ツナギ写真でパノラマにするよりないと覚悟を決めていました。   で、あえて28mmまでは使わず35mm程度にしました。  でないと、ツナグ枚数は多くなりますが解像度はいいはずだと。

上下の空と川の手前を基準にした訳です。勿論私らから見る正面の川は手前が自分たちがいる山の陰になって見えませんが、案内のその民家の女性もここが最良の地点だと、これ以上登りませんし、私らもヒィヒィフゥフゥで妥協したのでした。

その辺りには日本人カメラマンが棄てたらしい日本のフィルムの空き箱も見かけました。

画像処理に、これだけ作り上げるのに一週間を要しました。何と言っても苦労するのは、ツナギ目の色あわせです。 幾ら同時に撮っても絶対に合わないですね。

周辺光量の違い。また極く僅かな露出の違いなどで   特に空の色と川の色それに山の色ですね。   で、一週間画像と格闘でした。  何度やり変えたか覚えていません。

空を合わせれば山や川が違ってくる。 レイヤーを何度も作り変えたか。  

この長江第一湾は石鼓鎮というところにあります。  中国の長い歴史の中でも何度も戦いが行われその時、石の鼓などを使ったと言う故事からの地名らしいのですが。

元々、ほぼ直線近く流れていた長江ですが何10万年か昔、中央部の山が隆起。  このように140度曲げたと言う事のようです。

左が上流です。  この辺りは流れが緩やかですし、比較的浅いそうで、渡河しやすく戦場になったもののようです。

これから上流に向かいますと、緩やかな流れが玉竜雪山(5596m)と隣にある哈巴雪山(5396m)の狭い所  (一番狭い所で30m)  を200m位の川幅でゆったりと流れてきた長江が突然大激流となります。

これが「虎跳峡」で凄まじさには恐怖を覚えました。  勿論撮っていますが梅里雪山にはかなり離れていますので写真はいずれまた。

この名の由来は猟師に追われた虎がこの激流を跳び越えた所と言う故事からのようです。   今は雲南の「華南トラ」は絶滅したと言うのが定説のようですが、何十年か前はいたようです。

2)「トンパ文字」

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トンパ  (東巴)  文字を紙に書いたものです。  下のほうに健康長寿とあるのが、これの意味だと思います。

あと判るのは2007.5....。これは書いた時でしょう。   後は判りません。  あ、麗江古城がわかりますね。 ユニークなのは色で意味が変わる。

こんな文字はこのトンパ文字が世界で唯一と言う事らしいのです。

麗江付近に多く住む ナシ族。 現在でもこれを後世に伝えるべく小学校で習うのが義務になっている様です。

逆に考えると、その頃から多彩な染料を作り出していたとも言えるのじゃないでしょうか。

私個人は木片に彫ったのを10元で買ってきました。  160円くらいですね。

3)

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大理古城内です。 この門が南北にありました。

ぐるっと城壁で囲まれていますが、今の世 わき道が抜けていて「洋人街」などがその脇にあり白人客も道端のテーブルを囲んでくつろいでいる人も。   一番左にいてカメラを持ちわき見しているのが我々のリーダー孫先生。 (52歳位です)
中は土産物店が殆どでした。

4)

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ペー族の若者です。  いずこも同じ携帯が手放せない。

これもコソッと撮りましたが写真展で見た人が、こんなのよく撮れましたね。だって。モンゴルの草原で誰もいないと思って撮っていたらいつの間にか来ていて何か言われたような話をしていました。

この後、近くのレストランで昼食をしたのですが、ウエイトレスも一番左のクーニャンと同じ服装。
撮ろうとしたら嫌がって建物の中に。これもコソッと撮りましたがブレていました。

5)

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大理の次に一泊した 剣川のものです。

ここも、かっては茶馬古道の宿場と言うか物流で賑わった古鎮です。   鎮とは集落です。  沙渓と言う所が古い名残をとどめている。

そこの路地で「百年一日の如く」だろうなぁ  と思わせる水牛を追う老人です。  まぁ、近代的なのは街灯くらいでしょうか。
6)
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その沙渓のまだ細い路地を覗いていたらオバさんが家の前でどんぶり飯を食っていました。  これを撮ってやろうと寄って行くと、家の中に手招きをしている。
この子たちが出てきて姉のほうが私の腕を掴んで家の中へといざなう様子。  こりゃ飯食って行きなさいよ。  の意味だろうと。手を振って向こうに連れがいるからと手まねで断った。
丁度その時  孫先生が、向こうの道から見つけて何事かと来てくれた。  何やら飯に招いて呉れてるようだよと言ったらその子と話ををして、矢張りそうだとの事。
時間は3時頃。一体中国の人は食事の時刻にあまり拘らないようですし、こんな風に外で平気に立ち食い。
そして、簡単に人を食事に招く。  それにしても全く見知らぬエトランゼを......親が横にいるとは言え。   しかし、嬉しかったですね。  日本じゃ先ず考えられません。
先生の通訳で丁寧にお断りしました。  後で、この時カメラがポラロイドか、これはデジ一眼でしたから、即プリント出来る小さいプリンタを持っていたらなぁ  と残念でした。
上げたらきっと大喜びしたに違いありません。   表通りまで送ってくれましたが、先生の話では  日本にも暫くいた、オウヤンフィフィのファンだそうで。
帰国してから何とか写真を送ってやる手段はないかと考えましたが.........。   ね、可愛い子たちでしょ。
<梅里雪山その4に続く>
 

 

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